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Denkigai
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塞(あなぐら)


ガキの頃、夏休みになると、両親の実家である福岡に帰省していた。
俺は夏が来ると、帰省を楽しみにしていた。
歳もそうは離れていない男のイトコ達と近くにある海や川に行き、泳いだり
魚をとったり、セミやトンボなどの昆虫をとったりして、遊んだ。
当時俺の家は団地で、近くに泳げる川や、虫を採る事ができる山や林なんか
なかったし、なんせ海がない県に住んでいるから、海に対する憧れなんかもあった。
よく憶えているのが、歳が一つ下のイトコと、祖父の薦めで将棋をやったことだ。
頭の回転がトロイ俺は、何度、そいつと勝負しても負けた。
ヤツは病弱だったが勉強がよくできたし、回転も速かった。
しまいには俺がカンシャクを起こし、泣いて怒り出して終わりなんてことがザラだった。

やがて歳をとるにつれ、夏休みに帰省してくるイトコも減ってきた。
俺も高校に入って一度帰省したが、もうイトコは誰もいなかった。
北九州と博多の中間ほどに位置するその街にも、ヘッドタウン化が進み
魚を採った川は護岸工事が進められ、祖母が餅を作るとき使う、なんとかのハッパを
祖父と取りに行った山も、宅地開発が進んでいた。

病弱だったアイツは進学校に入ったと聞かされた。そうだろうなと思った。
イトコのほとんどが進学校に進んでいた。たまらない劣等感を感じた。
もともと母親を含めて勉強ができる家系だったが、出来損ないは俺だけだった。
「小さい時は頭がよかことあって、ほんにこん子の将来は安心ばい、ゆて、
みんなでいいよとったとにねぇ」
周りは俺を見て、そう言っていた。
それから何年かして、祖父が死んで葬儀にいったきり、
毎年、夏が来ても俺は帰省しなかった。


去年の夏、夏季休暇が取れたので、俺は祖父の墓参りも兼ねて
何年かぶりに福岡に帰省した。
新幹線で2時間半、俺はその間、あのイトコのことを考えていた。
アイツのことは、母親から聞かされていた。
進学校に進んだあと、アイツは北九州の公立の大学に進学した。
大学近くのアパートを借り、佐賀から北九州への一人暮らし。全ては順風満帆に思えた。
だが、アイツのおかしな噂を聞き出したのは、アイツが大学2年の頃からだった。
大学にはほとんど行かなくなってしまい、バイトもせずに、家に閉じこもっている。
という話を聞いたことが始まりだった。
それから話を聞くたびにヤツの状況は転がる石のように悪化していった。
大学を留年し、ついには精神的に病んでしまい、
対人恐怖症になってしまったということを聞かされた。
「ほってはおけない」と祖母が引き取り、今は祖母が面倒をみているとも聞かされた。

”小さい時は頭がよかことあって、ほんにこん子の将来は安心ばい、ゆて、
みんなでいいよとったとにねぇ”
俺はあの言葉を思い出していた。
アイツはたぶん無理をしていたんだろう。両親が教師ということもあって
地元じゃ優等生でとおっていたらしいし、俺とは違い周囲の期待も相当なものだっただろう。
もともと素直なやつだったから、周囲の期待にそぐわうように望まれる”優等生”を
必死になって演じてきたのだろう。
そうして大学に合格して、やつはきっと気づいてしまったんだろう。
「俺はここでなにをすればいいんだ?」と。
終電近くの在来線に乗り換え、人もまばらな車両の中、まっくらな車窓を見ながら
俺はそんなことを考えていた。

対人恐怖症のアイツだから、顔を合わせることもないだろうと思っていたが
2日目の晩、アイツからすんなり顔を合わせにきた。
「タバコ、もっとらん?」
”久しぶり”という言葉もなしに、すこし照れ笑いを浮かべながら、俺にそういった。
俺がタバコを渡すと、アイツはタバコをふかした。
それから音楽の話になった。ギターを弾けるらしく、誰かに聞かせたいみたいで
俺を部屋に呼び、深夜にも関わらず音を歪ませて、得意のコピーを聴かせた。
どうもパンクが好きらしく、部屋にはメロコアのバンドのCDがいくつか転がっていた。
それからまた、いろんな話をした。
驚いたのは、ヤツには彼女がいるということだった。
しかし、俺には疑問が沸いた。
”なんで対人恐怖症のくせに女、できんねん? こいつ、ちゃっかりしてんなぁー”
最後までそれは解せなかった。
対人恐怖症のことは俺は言わなかった。ふとみると、精神安定剤だろうか
何個かのカプセルが転がっていた。やけにそれがリアルだった。

将来の話になった時、ヤツは本音を覗かせた。
大学にも行っていない、ましてや目標だとか夢だとかそんなものない、
昼間からパチンコに興じ、働く気もしない、親のスネをかじる
ダメな自分がこのまま生きていく上で、どうやって生きていくのか、時々不安になる。
「オイ(俺)ね、このままでよかって思いよらんけど
人間、すいとらんとったい(好きじゃない)」
そういうと、ヤツは少し黙った。

ヤツは解っていた。自分がいわいる「社会的ひきこもり」であるってことも分かっていた。
ただ、その状況・・・暗い塞(あなぐら)からどうすれば脱出できるのか、
その方法がわからないから、もがいて、苦しんでいる。
「甘えている」 そう言えば簡単だ、でもそんなこと当の本人が百も承知だ。
問題はそんな竹を割ったように解決しない。事はもっと複雑だ。

俺は自分の話をした。
あの振り返りたくもない、逃げに逃げた2年間の話をした。
その上で俺はこういった。

「結局、世の中の仕事なんて全部サービス業なんよ。
俺が今やっている仕事にしろ、前やってた遊園地のバイトにしろ
普通のサラリーマンにしろ、ミュージシャンも、警察官も、総理大臣も
農業やってる人も、ソープランドのねぇちゃんも、工場で働くオッサンも
扱うものや関わることは違うけど、直接的や間接的かはわからんけど、最終的には
人間と関わるわけやん? 人間や人間に関わることやものにサービス、まぁ奉仕
することによって労働ができて、その報酬という意味で給料、まぁ金が貰えるわけやん?
だからたぶん人間と関わることがなくなったら、その仕事は淘汰されていくんとちゃう?」

そういうと、ヤツはこういった。
「今話したこと、じいちゃんが生きよいらして(生きていて)
聞きよったら、そいば(それこそ)涙流して喜ばれるばい。
あのケンジがこげんおおきゅう(こんなに大きく)なりよったぁーって」
「なんでやねん!」
そういうと、二人とも笑ってしまった。

次の日、俺は家に帰った。
祖母の家からでて、近くのバス停でバスを待つ間、
携帯にメールが入ってきた。アイツだった。
「タメになる話、どうもありがとう、では、また」
俺はなんて返信しようか考えた。
ふいに浮かんだのは、中学の卒業時にかいた寄せ書きに誰かが書いていた言葉だった。

「人生、落(ラク)ありぁ雲(クモ)あるよ」

そう返信を返すと、俺はちょうどいいタイミングで滑り込んだバスに乗り込んだ。



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